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あけましておめでとうございます & 振る舞い酒 [散歩]

新年、スカイツリータウンで振る舞い酒がありました。
お相撲さんと握手して、お酒をもらいました。三段目の相撲取り。
新年早々、気分が高揚。
改めて、お相撲さんて縁起物だと思いました。
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浜離宮 [散歩]

 八代将軍吉宗の象さんが飼われていたところ。
 イベントをやっているので行ってきた。
 スタンプラリーや出店など。キムラヤや、歌舞伎座などが出店。キムラヤの明治時代レシピのアンパンはあっという間に売り切れ。
 築地場外市場「松露」の出汁巻卵サンドや「銀座木村屋總本店」のホイップクリームアンパンなどを買い求め、園内の東屋でピクニック気分で昼食をとった。
 高層ビル群の只中に緑豊かな離宮があるというのは、優雅であり、ある意味シュール。
 世が世であれば、庶民など足も踏み入れることのできない場所なのだから、少なくともいい時代になったと思う。
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日比谷公園のイベント [散歩]

『ジャパンフィッシャーマンズ ェスティバル2018~全国魚市場&魚河岸まつり~』という長々とした名のイベント。
全国のシーフードB級グルメの出店が味を競う。つまり漁師飯。
食べたのは三品。
・アンコウ鍋
・海鮮ラーメン
・小鮎のテンプラ
どれも美味しかったよ!
特にアンコウ鍋が絶品。
会場内では、受付で買ったチケットか、電子マネーでお支払い。
お酒はセットで買うと少々お高いので、公式(キャンペーンで企業ブースがでている)のアルコールを買い求めれば、リーズナブルに。
肌寒い季節になんで開催? と思ったけれど、売り物が海産物だけに、暑いと食材が傷むから、この時期なのだろうか。
初日は平日だったので、比較的込んでいなかったと思う。それでも、30分待ちの行列はできていたけど。
週末はすごい人出になりそうだと思った。

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堀部安兵衛住居跡 [散歩]

堀部安兵衛住居跡

墨田区の一角にあった。散歩していたら、出くわした。清澄白河のブルーボトルでコーヒーを飲んだのち、両国に徒歩でむかっていたのである。さすが墨田区、忠臣蔵所縁の地。

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人形感謝祭 [散歩]

 10月14日(日)、明治神宮に行った。人形感謝祭の開催である。
 古くなったり壊れたりしたお人形をどうしても処分できずにいる人たちに代わって、「人形の魂をお祓いして感謝の気持ちをこめて納める(お別れする)」(明治神宮ホームページより)という趣旨のお祭りだ。
 私も、数体の人形を持参して、出向いた。
 五月人形の金太郎と、鎧兜などである。
 鎧兜は、私が生まれたときに、父方の祖父が買い求めてくれたもので、私だけでなく、息子の端午の節句の際にも飾ってきた。息子も高校生になったし、鎧兜も古びてきて、飾ることもなくなった。骨董価値もなく、さすがにお役御免ということだが、祖父に買ってもらった思い出の品であるし、ゴミとして捨てるのは忍びない。
 そこで、人形の処分について、調べてみると、各地の神社で人形の供養祭をしていることがわかった。
 東京では、明治神宮のこの「人形供養祭」があることを知ったのである。
 受付をすまして、人形を神社に託した。
 見ると、相当の数の人形が境内に飾ってある。人出も多く、境内は込み合っていた。海外の観光客の方々もいて、興味深げにカメラをむけている。
 人形にはフランス人形や、ニヤロドのような陶器人形もあったが、多いのは、ぬいぐるみや雛人形である。
 雛人形は、一見多くが綺麗に維持されているように見え、持ち主が大切に扱っていたことが窺えた。
 一方、五月人形や鎧兜類となると、破損していたり、前立てが曲がっていたりする。
 持ち主が男子と女子との差だろうか。(男子は兜を被ったり、刀を抜いたりするから……)
 供養の式典は午後からなのだが、私は午後に所用があり、午前中の内に神宮をあとにした。式典を見ることができなかったのは、少し残念だった。

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共通テーマ:日記・雑感

赤門 [散歩]

 いわずと知れた東大の門。東大の別名にもなっている象徴的な門です。もとは、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門です。文政10年(1827年)に第十二代藩主前田斉泰(前田家としては十三代とも)が第十一代将軍徳川家斉(別名オットセイ将軍)の推定五十三人!(男子二十六人、女子二十七人)いた子の内、第二十一女にあたる溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室として迎える際に造られたそうです。
 御守殿門てなに? と調べてみました。江戸時代、大名の官位が三位以上であること、その妻の実家が将軍家であること、このふたつの条件が揃うと、その妻の居所を御守殿と称します。で、その御守殿へ表通りから出入りする朱塗りの門のことを御成門と言うそうです。表門が黒門なので、こっちは赤門。嫁さんが将軍家からきたので、前田家は上屋敷に赤門を新築したわけですね! 格上の家から嫁さん貰うと大変だ。
 御守殿門は焼失したら再建を許されない慣習があるとか。おかげで、この東大の赤門が当時の原型を残す唯一の現存物だそうで、これは貴重。重要文化財なのも納得。
 東大の本郷キャンパスの敷地はかつて加賀藩前田家の上屋敷だったところです。広い東大がほぼ屋敷だったわけで、どんだけ広いんだか。
 様式は薬医門で切妻造。左右に唐破風造の番所。屋根上部には葵の紋、軒の丸瓦には前田家の家紋梅鉢があります。なぜ薬医門というのかというといくつかの説が。矢の攻撃を食い止める「矢食い(やぐい)」からきた説と、医者の門だからという説。一般的には、前方(外側)に二本、後方(内側)に二本の四本の柱で屋根を支える構造だそうです。屋根の中心の棟が、前の柱と後ろの柱の中間ではなく、やや前方に位置します。前方二本の柱が本柱となっており、後方のものより太く、加重を多く支える構造になります。今回訪ねた際には細かいところまで確認できなかったので、次回訪問のときには、この赤門をよくよく観察しようと決意。
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墨東常夜灯 [散歩]

 前回、牛嶋神社を参拝したとき行きそびれた、もともとあった場所に行ってきました。昭和七年に現在の場所に移ってきた当神社が、関東大震災以前にあった場所は、この墨堤常夜灯の東側だそうです。いまでは隅田川沿いの堤防にそった歩道で、気持ちいい散歩コースとなってます。
 すぐ側には「桜もち」で有名な長命寺があります。今回も、この「山本や」に寄って、店内で桜もちと茶を楽しみました。できたては美味いですね!
 古地図によると、長命寺と牛嶋神社が並んでますから、往時は参拝者が両方を訪れ、このあたりは賑わっていたのかな、と想像してます。


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東京プリンスホテル [散歩]

 夜に訪ねたので、東京タワーを背景に撮影。東京プリンスホテルは、東京オリンピック(1964年)に合わせて建造されました。プリンスホテルの由来は、西武グループの創始者・堤康次郎氏が、戦後、旧宮家・華族が都心部に所有していた邸宅地を買収し、そこにホテルを開業したからですが、この東京プリンスホテルのもとは徳川家霊廟跡です。ここにあったのは、二代秀忠(台徳院)、秀忠正室のお江(ごう)(崇源院)、六代家宣(文昭院)、七代家継(有章院)の霊廟と、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の宝塔。徳川家霊廟は1945年(昭和20年)に空襲で大部分が焼失。霊廟に祀られていた徳川家の方々は、1958年(昭和33年)に改葬され、墓所は増上寺本堂裏に移転しているそうです。
 ホテル敷地内、入口前には空襲で焼け残った旧有章院霊廟二天門がいまだ健在です。
そうそう、奇しくも現在、戦火で消失した秀忠の墓所、台徳院殿霊廟の精巧な明治期の大型模型が約100年ぶりに英国から里帰りし、増上寺で公開中です。

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かねやす [散歩]

 今も本郷二丁目にその名を残している江戸時代の小間物屋さんです。店先の看板に書かれた川柳を読むと、「本郷も かねやす までは江戸のうち」だそうで。現在の本郷と言えば文京区。まさに東京のド真ん中。それが江戸時代だと「ここから先は江戸じゃねえよ」なんて言われていたのかと思ったら……。
 実際は、享保15年(1730)に大火があり、本郷一帯が消失。防災上の観点から町奉行の大岡越前守が、当時「かねやす」のあった三丁目を境に江戸城側を土蔵造り・瓦屋根にするようお達しをだしたそうです。
 結果どうなったかというと、江戸城側から「かねやす」までは立派な瓦葺、その先は板や茅葺の町並となって、「本郷も~」の川柳が歌われたわけで。この「かねやす」、享保年間(1716~1736)に、兼康祐悦という歯科医が小間物店を開き、乳香散という歯磨き粉を売り出し、大当たり。そのあと、のれん分けした芝明神前の「兼康」とあいだに元祖争いが起きたとか。そこで、ここでもまた大岡越前守が、「本郷は仮名で、芝は漢字で表記するように」と名裁きを下し、それ以来、本郷にある場所には、「かねやす」の名で、いまでも小間物店がつづいるということ(なんと約四百年!)。ちなみに芝の方ですが、いまはもうないようですね。

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神田明神 [散歩]

 平将門公首塚につづいて、将門公つながりでやってきました。将門公の霊を祀った神田明神です。JR御茶ノ水駅から徒歩五分ほどで到着。近くには、湯島聖堂、ニコライ聖堂、秋葉原、順天堂大学病院(JIN-仁-のロケ地、仁先生がタイムスリップしたところ!)といろいろなスポットが密集しています。
 ある意味、ここもパワースポットかも。
 境内はけっこう広くて、奥の社殿では、神前結婚式が進められていました。おごそかな雰囲気です。
 今年(平成27年)は、ご遷座400年奉祝の年だそうで、神田祭は盛大に大祭を行うそうです。
 将門公を祀った神社ですが、こちらはゆるキャラ(神田明神のマスコットは、江戸っ子「みこしー」)つくったり、LINEスタンプ(神田明神キャラクターズとか)配信したり、いまどきです。それでもさすがに将門公をゆるキャラ化するのは怖いのか? なにせ歴史上有数の怨霊だったお方……。
 将門公を題材にしたのは、海音寺潮五郎先生の『平将門』『海と風と虹と』。大河ドラマでは、両作を原作とした『風と雲と虹と』があります。子供心に平将門役の加藤剛さんがかっこよくてオーラを放ってました。このあたりの印象もあって、将門公は自分の中では「反骨の英雄」です。

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